戦国時代のような現在の状況の中で、どこに視点を置くべきか?
図書館でふと見かけた、歴史小説に興味をひかれ、いま手にとって読んでいる。
社会構造が不安定で変化が激しい時代においては、人は自己保身に走りがちである。100年先の子孫のことよりも、まずは自分の人生をつなげていくことが最大の関心事になる。1年先、いや1日先すら不確定な世の中にあっては、今日を今をいかに生きるかに集中することになる。
各地の戦国大名と呼ばれた有力者たちも自領の拡張と家系の存続を第一にしていたように見える。その中にあって、奇想天外な発想と意志力、知恵と実行力によって信長は日本国を統一という方向に持っていった。当人が、現代人の想像するような穏やかな統一社会を想像していたかは別として。
ひるがえって現代。インターネットによって情報伝達のあり方が高速化し、AIが人の仕事を大きく変えつつある激動の時代。企業がしのぎを削り競争し、格差が広がる社会の中で個人同士も比較し競争して生き延びようと必死である。少しでも他者よりよい条件を獲得しよう、としたたかに生存するための算段を日々つけている。
そんな中で先を見るには、大局的な物の見方をする時間を確保する必要がある。自分の人生全体、また子孫の代のことまで考えていく。信長のような革命児に目指すかどうかは、個々人の価値観に基づく選択による。そもそも戦国時代の外国勢力やタイミングなどコントロールできない要素があるので、目指したからといって得られる保証はない。
しかしそんな中でも、先を考えて生きることで、より自分の人生を使命に捧げることが可能になっていくと、わたしは考える。思い通りにはならない世の中、人生において、それでも高い視点から自分の人生を捉えることは大切だ。自分の人生に喜びを見いだせるから。意味を見出せるから。人生に意味などない、という価値観の人はまた別。
混沌とした状況の中で、どこに視点を置くべきか?
AIが流行っているから習得すべきか、副業が解禁されたからさっそく手をつけるべきか、老後資金の確保のために何かしないといけないとか、ネットを使って起業してみようかなんて、子どもには道徳とプログラミング教育が必要だから英語でプログラミングを教えてくれる教室を探そうとか…?
(ちなみに「教えてくれる」は時代遅れの発想のように感じ始めている。好きこそものの上手なれ、内発的な動機づけ云々言葉はいろいろあるが、要は本人の中にすでに存在している特性や興味を元に自由に学習し形にしていく環境を設計し与えることこそが重要であって、誰かに何かを教えてもらうことを期待する時代ではないと考える。道徳観念とか人間としての基本はどうするのかって?それは親自身が教えるのであって、誰かが代わって教えられるものではない。他人でも師となることはできる。その場合、親か他人のどちらかが中心になる。任せておいて文句を言うことは筋違いであり、責任を持つ親の自己矛盾)
正解などない。
ただ、大きな流れを知って動くことで、ぶれずに(ある意味で効率的に)人生という時間や各種の力、エネルギーというリソースを集中的に投入していくことができるようになるとわたしは考える。
”家来たちの血で領土をあがなうことを、最高のよろこびとする大名は、過去や未来に思いをおよぼさず、現在のみを考えていた。
彼らは死後の栄誉よりも、生きているあいだのうちに味わう、一杯の酒に価値を覚えている。
大名の豪奢な生活を支える下級武士たちは、大名の後を追って、自己の領地と富の拡張に力を傾ける。ほとんどの者は敗者として破滅の淵にのぞむが、激烈な生存競争に勝ち抜き、成功するものもいた。彼らは戦場で死ぬ人の悲惨な運命を見続けてきたので、ひたすら現世の繁栄、享楽のみを楽しもうとした。”
獅子の系譜/津本陽
社会構造が不安定で変化が激しい時代においては、人は自己保身に走りがちである。100年先の子孫のことよりも、まずは自分の人生をつなげていくことが最大の関心事になる。1年先、いや1日先すら不確定な世の中にあっては、今日を今をいかに生きるかに集中することになる。
各地の戦国大名と呼ばれた有力者たちも自領の拡張と家系の存続を第一にしていたように見える。その中にあって、奇想天外な発想と意志力、知恵と実行力によって信長は日本国を統一という方向に持っていった。当人が、現代人の想像するような穏やかな統一社会を想像していたかは別として。
ひるがえって現代。インターネットによって情報伝達のあり方が高速化し、AIが人の仕事を大きく変えつつある激動の時代。企業がしのぎを削り競争し、格差が広がる社会の中で個人同士も比較し競争して生き延びようと必死である。少しでも他者よりよい条件を獲得しよう、としたたかに生存するための算段を日々つけている。
そんな中で先を見るには、大局的な物の見方をする時間を確保する必要がある。自分の人生全体、また子孫の代のことまで考えていく。信長のような革命児に目指すかどうかは、個々人の価値観に基づく選択による。そもそも戦国時代の外国勢力やタイミングなどコントロールできない要素があるので、目指したからといって得られる保証はない。
しかしそんな中でも、先を考えて生きることで、より自分の人生を使命に捧げることが可能になっていくと、わたしは考える。思い通りにはならない世の中、人生において、それでも高い視点から自分の人生を捉えることは大切だ。自分の人生に喜びを見いだせるから。意味を見出せるから。人生に意味などない、という価値観の人はまた別。
混沌とした状況の中で、どこに視点を置くべきか?
AIが流行っているから習得すべきか、副業が解禁されたからさっそく手をつけるべきか、老後資金の確保のために何かしないといけないとか、ネットを使って起業してみようかなんて、子どもには道徳とプログラミング教育が必要だから英語でプログラミングを教えてくれる教室を探そうとか…?
(ちなみに「教えてくれる」は時代遅れの発想のように感じ始めている。好きこそものの上手なれ、内発的な動機づけ云々言葉はいろいろあるが、要は本人の中にすでに存在している特性や興味を元に自由に学習し形にしていく環境を設計し与えることこそが重要であって、誰かに何かを教えてもらうことを期待する時代ではないと考える。道徳観念とか人間としての基本はどうするのかって?それは親自身が教えるのであって、誰かが代わって教えられるものではない。他人でも師となることはできる。その場合、親か他人のどちらかが中心になる。任せておいて文句を言うことは筋違いであり、責任を持つ親の自己矛盾)
正解などない。
ただ、大きな流れを知って動くことで、ぶれずに(ある意味で効率的に)人生という時間や各種の力、エネルギーというリソースを集中的に投入していくことができるようになるとわたしは考える。
人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値打ちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴言16:1-3)
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16:9)
人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけがなる。(箴言19:21)
よい日々を。
コメント
コメントを投稿